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谷口 千春Chiharu Taniguchi
株式会社DoTS 代表取締役社長
クリエイティブディレクター
株式会社ミナサカ代表取締役/
ミナガルテン代表
「白か黒かじゃない、グラデーションの世界」を作りたい。そんな思いから、水彩絵の具で丸を描きました。0・1の分かりやすさの狭間にある、豊かな世界を見落とさないように。真ん中に出来た余白を見て、ふと、大学時代に友人に言われた「ちは(愛称)は、台風の目みたい」という言葉を思い出しました。(意味はご想像にお任せします)
転機となった 5 つの点
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1.
物語の背景としての建築・まち
漫画を描いたり、演劇をしたり。子どもの頃から「物語をつくる」ことが好きでした。その背景としての建築空間や舞台美術に興味を持って、建築学科に進みました。企業や財団から資金を集め、海外の学生らと淡路島やスウェーデンに能舞台をつくり公演を行った活動は、まちづくり、異文化交流、自律的なプロジェクト組成など、今につながるあらゆる要素が詰まった私の原点です。 -
2.
3つの得意をかけ合わせる
新卒で就職した会社に上司に言われた「3つの得意分野を持って1/100万の人材になれ」という言葉は、その後のキャリアに大きな影響を与えました。一つの分野で突出した成果を出すのは難しいけれど、「100人の中で自分が一番なんじゃないか」と思える分野が複数あれば、その掛け合わせで1/100万の人材になれる。振り返ると、私の3分野は「舞台・空間」「企画・編集」「伝統文化(ルーツ探求)」―その種は、全て子ども時代から20代の経験の中にありました。 -
3.
私たちのWell-beingを探し求めて
20代から30代にかけて、キャリアと家庭のバランスや、自身の特性から来る“生きづらさ”に悩み、何度か体調を崩しました。自分とのパートナーシップも含め、“分かり合えなさ”を乗り越えて、どうすれば私たちは幸せに生きられるだろう?
父の病気をきっかけに21年ぶりにUターンした広島にそのヒントがありました。一人では辿り着けない答えを共に探し、共に創る仲間との出会いを求めて、共創拠点「ミナガルテン」をつくりました。人(個人)と暮らし(共同体)のウェルビーイング(幸せ)は、私の生涯の探求テーマとなりました。 -
4.
Pride of Hiroshimaのその先へ
ミナガルテンでの経験から、「一人ひとりが自分らしく咲き、みんなが栄える世界を」という願いを込めたミナサカという会社が生まれました。広島の復興の物語を伝える常設展示「Pride of Hiroshima」の企画統括の機会をいただき、広島の産業の歴史や宗教観にも触れました。1945. 8. 6以前からそこにあった豊かさと、それゆえに発揮されたレジリエンス力(復興力)は今まさに困難に直面する世界の人を勇気づけるパワーを持っていることを知りました。
私たち一人ひとりが自らの「Pride of Me」(使命=命の使い方)に真摯に向き合い続けることで、その先に世界の平和の未来を描き出すことができる。今も多くの若者や有志の方たちと機会を分け合いながら場を運営しています。こうした「場づくり」こそが、私自身の使命だとはっきり分かった瞬間でした。 -
5.
デザインと共創で平和文化を形に
ミナサカでは、新広島駅ビル「minamoa(ミナモア)」のロゴデザインのコンペを企画させていただき、あらためてデザインやデザイナーの持つ力に触れました。”点々”という意味から発想されたDoTSという名前に、「D=Design」「S=SETOUCHI」という単語が隠されていたのは、果たして偶然でしょうか?
デザインには「概念を形にする」という意味や、「想像したものを創造する」力があります。広島が目指すべきデザインとは何でしょうか?平和という概念は、先人たちの願いの通り、今のまちや社会に正しく実装されているでしょうか?
点と点をつなぐ作業は続きます。次は、あなたと。